| Q1.独立運動は、日本の圧政が原因で起きた。 |
A2.アメリカ大統領・ウィルソンが、第一次世界大戦の講和会議で唱えた「民族自決思想」に触発された事が原因。
圧政が原因だったのなら、なぜ、第二、第三の独立運動が起きなかったのか? なぜ、独立宣言の起草者・李光洙は、日本統治を支持する「民族改造論」を唱えるようになったのか? |
| Q2.この鎮圧戦で、日本は7509人も殺した。 |
| A2.それは朴殷植が、『朝鮮独立運動の血史』で広めた嘘。総督府の正式な記録では、死者数は553人。 |
| Q3.日本は、独立運動を武力鎮圧した。野蛮だった証拠だ。 |
A3.「運動」も規模が大きくなれば「暴徒」に変わる。3.1独立運動の時も、暴徒と化した民衆によって、警察署・村役場・小学校等が襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺が行われた。これを鎮圧する為に日本は武力を用いた。
参考)「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画
なお、ロシアの二月革命(1917年)の時も、デモ隊が暴徒化した。この時、ロシア帝国は軍隊を使い、2月26日に“一度に200人”の民衆を殺している。 |
| Q4.日本は鎮圧戦で数百人も殺している。残酷だった証拠だ。 |
A4.1960年の李承晩退陣要求デモの時は、韓国政府はデモを武力鎮圧し、死者183人・負傷者6000人以上出している。
1980年に光州で起きたデモも、韓国政府は武力鎮圧し、“一日に”死者189人・負傷者380人出している。(全体では死者数2000人以上) 一方、日本が武力鎮圧した3.1独立運動は、朝鮮半島全土に及ぶ一大暴動だったにも関わらず、一ヶ月近くの間で死者は553人に過ぎない。 |
| Q5.日本は、このデモで五万人を政治犯収容所に投獄した。 |
A5.政治犯収容所ではなく、単なる刑務所。この時の収監数は、総督府の記録では、1919年5月10日の時点で、8437名。
出典)「歴史を偽造する韓国」 中川八洋 2002年 徳間書店 |
| Q6.日本は投獄した人々を拷問に掛け、大勢殺した。 |
Q6.囚人を虐待したのは朝鮮人憲兵と朝鮮人巡査。逆に日本側は、彼らの横暴を取り締まっていた。
参考)前述の“5.朝鮮の監獄と拷問”。『日本の朝鮮統治2』の「日本の権威を悪用した朝鮮人」の“2.反日感情の原因を作り続けた朝鮮人”。
(同じ日本統治下にあった台湾では、政治犯虐待事件は起きていない) また、投獄された者で死刑判決を受けた者はいない。最高刑でも、主犯格とされた孫秉煕、崔麟等八人が懲役三年。独立宣言の起草者・李光洙ですら懲役二年半に過ぎない。 |